FINALIST 2017年グランプリ 平良 絵玲亜

INTERVIEW2017年グランプリ受賞者インタビュー

2017年グランプリ平良 絵玲亜

ミスユニバース沖縄について

Q. 1月の沖縄大会から半年以上経ちましたが、グランプリに輝いた瞬間を振り返って頂きたいのですが、名前が呼ばれたときはどんな気持ちでしたか?

「沖縄代表になることが一番最初の関門であり目標でしたので、名前を呼ばれた時は頭が真っ白になって今まで色々思っていた感情が溢れてきて、号泣してしてしまいました。とにかく嬉しい気持ちと、少しホッとした気持ち、ここからやっと世界を目指すスタートラインに立てたと言う気持ちでした。」

Q. 「自分がグランプリになる」という自信があったように見えましたがどうでしたか?

「そうですね笑 世界を目指していたので、世界大会を研究し自分の中に落とし込んでいましたし「絶対に自分しかミスユニバース沖縄代表に相応しい人間はいない!」と言う位の気持ちがあったので。自信は、、そうですね、誰よりもありました!」

Q. これからの活動が忙しくなることをグランプリになった当時はどう思っていましたか?

「嬉しいことでしかなかったです。2016年より沖縄県内で活動したい!と思っていたので、自分で自主的にも活動の幅を広げています。色々な活動があることはとても楽しみで、嬉しいことでした。」

Q. グランプリになって環境や気持ちに変化はありましたか?

「ミスユニバース沖縄代表の肩書きがついて、その看板を背負って生活していく中で、私生活でも、どの角度から誰に見られても「さすがミスユニバース沖縄代表だね」って言われる立ち振る舞いを意識しています。SNS投稿時には、幼稚な言葉を使わない、かしこまりすぎると読んでくれないこともあるので、ある程度フランクでありフレンドリー感を残しつつ、誰もが読んでくれそうな、言葉使いや言葉選び、絵文字のセレクトなど、すごく気をつけるようになりました。」

Q. そもそもミス・ユニバースを挑戦するきっかけというのは何だったのですか?

「2014、2015のミスユニバースに挑戦している友達が何人かいて、その子達のSNS投稿を見て、すごくかっこいいなっていう憧れを持っていたんですが中々踏み出すきっかけがなくて。2016年は年齢的に最後の年だったのでやってみよう!と思い、2、3年越しにやっと応募したんですよ。結果2016年は沖縄大会でグランプリはとれなかったので5年越しに取れたグランプリです。」

Q. 平良さんは2016年の大会も受けていたんですよね。やはり2016年大会では悔しかったですか?

「ものすごく悔しかったです。悔しすぎてもうミスコンテストとは関わるのを辞めようと思いました。ミスコンの世界とは関わらずにモデル一筋でいいや!みたいな笑 投げやりな感じでしたね笑」

Q. 再挑戦しようと思った理由って何だったのですか?

「リベンジという思いが強かったです。2017から年齢制限が1歳上がり、もう一回挑戦できると言うチャンスを得たので、「やらずに後悔したくない」「これを絶対に無駄にしたくない」と思い再挑戦を決めました。」

Q. グランプリになってからミス沖縄として様々な活動がありましたが印象に残っている活動はありますか?

「全ての活動を鮮明に覚えています。どこに行っても会う皆さんがとても笑顔で迎えてくれてミスユニバースを知らない方も説明したり話しをすると、頑張ってねと声をかけてくれて、インスタやフェイスブックをフォローして、その後も応援をしてくれています。沖縄の人達の心の温かさを毎回毎回すごく感じてますので、どの活動も思い出深いですね。」

Q. やはり市長表敬などは緊張するのでしょうか?

「グランプリになって一番初めに県庁を訪問した時は、初めて県の偉い方とお会いしてご挨拶をさせて頂くので少し緊張しました。でも私の持っている自信や思いを、市長や県の方に見て感じて頂きたいと言う思いが強いので、失礼がなければ良いという緊張感は常にありますが、特別緊張することはないです。」

家族・幼少期

Q. 沖縄へ帰省するたびにおばあちゃんに会っていると聞きましたが仲良いのですか?

「母子家庭で育ったので、母が働いている時は、おばあちゃんがご飯を作ってくれたりして一緒にいることが多かったのでママっ子でもありますが、おばあちゃんっ子でもあります。
今は少し認知症になってしまったんですが、私がミスユニバース沖縄代表になったことを一番喜んでくれたのはおばあちゃんでしたね。ちょっと泣きそうになっちゃいますね。笑
本当に大好きですね。」

Q. おばあちゃんは元ひめゆり学徒隊だったんですよね?

「はい。ひめゆり平和祈念資料館へ施設訪問した時には、元ひめゆり学徒である館長の島袋さんから、当時おばあちゃんが書いた遺書を見せていただきました。ユニバース沖縄代表になってから、沖縄の歴史を再度勉強したりする中で祖母の存在はすごく大きいですね。おばあちゃんはひめゆりを経験してきて、でも私達の前ではいつも明るくてニコニコ笑っていているんですよ。愛情深くて穏やかで、でもその裏には16歳で戦争を経験して、目の前で、色んな人達が死んでいくと言うのを見て育って。とても強い人だと思います。尊敬しています。」

Q. 現在ご実家は浦添ですよね?聞生まれも育ちも浦添ですか?

「生まれも育ちもずっと浦添です。」

Q. 小学生の頃はどんな子でしたか?

「運動が大好きで、休み時間の度にグランドに出て走り回っているような女の子でした」

Q. 可愛いのでモテたでしょ?

「男気ありすぎてヤンチャな子でしたのでモテませんでした」

Q. 身長は小学生の頃から高い方でした?

「小学校低学年の頃は前習えでは1番前で腰に手に当てていました笑 4年生か5年生の頃から身長が一気に伸び出して、6年生の頃は164くらいありました。」

Q. 平良さんはバレーをやっていたんですよね?それは中学生からですか?

「小学校3年生の頃からやっていました」

Q. 高校は県内でもバレーの名門の体育会系で有名なとこだったとか

「西原高校に通っていました。体育会系の学校で、マーチングバンドが今年、世界優勝していますし本当に活気がある学校です。」

Q. 練習は厳しかったですか?

「ものすごく厳しかったです。バレーボールはチームプレイなので、まず教えられることは挨拶であったり、仲間を大切にして、感謝の気持ちを持つってことでした。朝は6時半から学校に集合して朝練を始めて、夜は11時まで練習していました。

Q. 先生や先輩は怖かったですか?

「監督が恐ろしかったです笑 当時30半ばくらいの女性だったんですが、監督自身も過去にジュニアオリンピック出ていたり実力のある方だったのですごく厳しかったです。先輩は優しかったです。私は、1年からスタメンだったので、同級生より1つ上の先輩達と一番長くプレイをしてきたので仲が良かったです。今でもSNSでコメントしあったりしています!

Q. 部活から学んだことが今の平良さんの原点ですか?

「バレーボールをやっていてよかったなと思います。内面的な部分もすごく鍛えてもらったし、バレーボールを通して色々なことを教えてもらいました。部員45名のキャプテンだったので、洞察力であったり、色々なことに気づける力、部員をまとめることとか色々なことを勉強させてもらいました。
ミスユニバース日本大会でもリーダーシップはぶっちぎりの1位だったんですが、部活での経験があったからだと思いますね」

プライベートについて

Q. 現在のお住まいは?

「東京です。」

Q. 普段はモデルの仕事の他にラオス不発弾処理のNPO団体の活動もされているんですよね?

「はい。先日はラオスに自ら行って不発弾の処理をしてきました。不発弾は毎日見つかって、不発弾の被害にあう人が今もまだ毎日います。貧困で自分たちでは不発弾を処理できないので、私達のように処理をしてくれる支援してる人達をとても暖かく、すごく笑顔で泣きながら歓迎してくれて、言葉は通じないんですが、感謝を体と表情、全身で表現してくれて、人としてあるべき姿をラオスの人達から学びました。すごく素敵な時間です。」

Q. ラオスの活動もおばあちゃんの影響からでしょうか?

「そうですね。ラオスの人達は命を落としたり、両目を失明したり被害を受けても、誰のことも責めたりしないんです。日本の昔(戦後)も、きっとこう言う感じでみんな心が暖かくて素敵な一面があったのではないのかなと思いました。今は平和ボケしている人が多くて、隣の人に優しくしてあげれることができる人がとても少なくなってきていると思うんですよ。ラオスの活動を通じて国内の人に色々知ってもらって気づいてもらいたいと思っています。」

Q. 日本大会があり、ミス沖縄としての活動もあり、不発弾処理の活動、モデルの仕事と忙しくて「辛いな」と思うことはありますか?

「全くないです。 大変だなって思う時は大体風邪をひいた時に身体的にきついなて思うくらいです。私は、モデルの活動も、ラオスのこともミスユニバースも自分がやりたくてやっていることなので好きでやっていることなので、全く苦にはならないですね。
色々な人と関わるのでマイナスなことやネガティブなことを言われることもあるんですけど、それを一つの意見として、自分なりにプラスに置き換えて考えて、うまくやっていけているので、ストレスで辛いということも全然ないですね逆に毎日が充実していて、私「リア充」だなって思います。笑
すごく楽しんでいます!」

日本大会について

Q. 初めてミス・ユニバースの全都道府県代表が顔を合わせた3月のお披露目会ではどんなことを思いましたか?

「他人と自分を比べる物ではないのでとにかく、沖縄らしく、私らしくいれればそれで良いやという感じでした。」

Q. メンバーの雰囲気ってピリピリしているんですか?

「お披露目会の時は距離感はありましたがピリピリした感じはなかったです。お互いどう接したら良いかの距離感を図っていてドギマギしている感じでした。後々話しをしていると最初はすごく各県の代表者から、私がマークされていたらしく、、、
最年長だし、色々な経験もしているのもあって、怖がられていたらしいです笑」

Q. ビューティーキャンプを含めてですが、仲良くなったりした代表の方とかはいましたか?

「はい!結構います!長崎、京都、広島とは一緒に9月に香港旅行に行くくらい仲が良いです。東京に来るたびに連絡してくれる子もいます。」

Q. ビューティーキャンプ中気をつけていたことはありますか?

「常に審査だと意識を持っていたので、話しの聞く姿勢だったり、座り方だったり、常に見られていると思ってダラシなくしてはいけないと思っていました。世界大会へこの子だったら自信持って行かせられるなって思わせるくらいの行動を常に意識していました。」

Q. ファイナリスト46人の中でもミヤネ屋さんに密着取材されるほど期待されていて、実力もTOPクラスでしたよね。

「そうですね笑 自分で言うのもあれですが、1位から46位までの順位がつく中でスピーチ、ウォーキング常に1、2位をキープしていました。」

Q. ビューティーキャンプではウォーキング、ダンス、スピーチ、全て対決的なことやっていましたよね。

「AからDまでランク分けで評価をされるのですが、ほぼAをキープしていました。」

Q. 日本大会当日、開演前はどんな雰囲気でしたか?

「メイク、ヘアー、ウォーキング、どうやったら一番良く伝わるかの最終チェックなので、和気合いあいと言う感じではなく自分自身を高めるための時間にしているメンバーが多かったです。リラックスする時間も必要なので、合間に冗談を言い合ったり、今年のファイナリストはすごく仲良いので
モノマネしたりして、お互いがお互いを高めてる存在で、当日もギスギスした雰囲気ではなかったです。」

Q. 日本大会が始まって、1セッション2セッションは見事に勝ち進みましたが、どういう気持ちでしたか?

「勝つ自信しかなかったです。負けることがありえないくらいの自信しか私にはなかったです。当たり前に3セッションに行くと言う自信しかなくて、
落ちる想像をしたことも1度もなかったし落ちる想像が全くできなかったですね。それくらい自分自身のパフォーマンスに自信があった。
1セッションはスピーチの1文飛んじゃったんですけど、堂々と最後まで言えれば問題ないと思っていて全く焦りはしなかったですね。1セッションで勝敗が決まって、その後バックヤードで対戦相手とすれ違うんですよ。すれ違う瞬間に対戦相手だった子がハグしてくれて。。。思い出すと泣きそうになっちゃうんですけど「頑張ってね」て言ってくれて。彼女はこの後表舞台に立つ事はないじゃないですか。仲よかったのでちょっと辛くなって。
気まずいと言うか悲しいと思っていました。
でもその子の分まで私が勝てば、その子の思いも発信できるので「絶対に優勝する」て言ったんですよ。2週間一緒に生活しているのでその子が何を思って、ミスユニバースに挑戦しているか理解しているので素直に勝って嬉しい!という気持ちではなかったです。

Q. それは2セッションも同じですか?

「2セッションの京都代表は2人で世界大会出れたらいいねって言い合っていたくらい仲が良くて、何のためにユニバースに挑戦して、ユニバース日本代表になったら何がしたいかをお互いずっと話していた存在だったのでバックヤードで対戦相手が発表された時は、、、かなり、、ちょっと、、お互い本当に覚悟を決めました。」

Q. 3セッションはどんな気持ちでウォーキングしましたか?

「もしtop5に入れなくても、この会場にいる人達に絶対に爪痕残してやろう!という思いだけでした。圧倒的な実力差をウォーキングで見せてやろう!何で沖縄代表が選ばれないの!?って思われるようなパフォーマンスが出来れば良いという思いだけでした!」

Q. 結果3セッションでベスト5には選ばれずベスト13でしたよね。悔しかったですか?

「ものすごく悔しかったです。号泣しすぎて、バックヤードで階段降りれなくて裏で待機しているファイナリストに支えてもらっておりました。色々な子にハグしてもらって声をかけてもらったんですけど、全く覚えていなくて、メイクなんて崩れていいや、TOP5の引き立て役になるならもうステージに上がらなくていいやって思うくらい本当に悔しかったですね」

Q. 沖縄大会でグランプリになってから今日までの8ヶ月間の日々はどうでしたか?

「プレッシャーもあったり、体作りをしないといけなかったので「楽な日」は1日もなかったです。朝5時に起きてランニングして、その後仕事して、
仕事から帰ってきたらトレーニングして半身浴しての繰り返しでした。とにかく時間を無駄にしてくなかったので、時間があればランニングやトレーニングをしていましたね。1日1日絶対に悔いなく過ごすことを常に思っていました。多分1日でも妥協した日があったらその日を後悔してしまうと思ったので毎日挑戦で、毎日が全力でした。悔いがない8ヶ月間でした。」

2018沖縄出場者へ

Q. 今年沖縄大会にエントリーする方が聞きたいと思うんですが、大会出場前にはどんなトレーニングをしていましたか?

「身体作りやウォーキングはレッスンで変えてもらうことが全然できるけどメンタルの部分は他人に変えてもらうことってできないんですよ。
自分自身がしっかり自分自身と向き合って自分を好きにならない限りネガティブな発想をポジティブに変えてくれない限りオーラとか雰囲気は変わらないので、、自分が自分のことを好きではないと自分の表現を100パーセント魅力的に出せる人はいないので自分のコンプレックスやネガティブな部分も全て受け入れて自分自身を好きになることが、まず最初の1番のポイントだと思っています。
そこから身体作り、ウォーキングのパフォーマンス力を付けたして、色つけをすることで、100パーセント自分自身を表現することができると思っています。」

Q. 最後に2018沖縄大会へエントリーをする方へアドバイスはありますか?

「応募するまでに私は、何年も時間がかかってしまったので、色々と時間を無駄にしてしまいましたのがちょっと後悔があります。
ちょっとでも興味があったり、少しでも「ユニバース」ってフレーズが頭に残っている子って絶対いると思うので、少しでもかっこいいなとか、自分も出てみたいなって思うなら、身長とか見た目とか関係なく挑戦してほしい。まずエントリーをするっていう行動を起こしてほしいいなって思いますね。
私は2、3年行動に起こせなくて、時間を無駄にしてしまったので、ミスコンテストというのは時間に限りがあるし、年齢制限もあるので後悔する前に、
大きな挑戦だと思いますが「私なんかが」って思わず挑戦してほしいと思いますね。」

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